私にとってタンゴとはいったい何だったのか

みなさまこんばんわ。
ナガイネ!のフンドシブログでございます。
本年も長〜〜い駄文にお付き合いいただきましてありがとうございます。

大晦日でありますのでフンドシ特盛りです。それもそのはず、本日のお題は「私にとってタンゴとはいったい何だったのか」という総括をお題にさせていただきます。

ワタクシ、今年はタンゴ10周年でありました。まあいつから本腰だったか覚えてないので本人もはぁそうですか?って感じなんですが、10年ですよ10年。柿だって実をつけてしまう、寿司屋の丁稚だった若者もすでに店も奥さんも持って、船橋あたりで営業している、そんな年月です。

ワタクシにとって何だったのか。

その1・タンゴは難しい音楽だった。

音楽に垣根なし、ジャンルなしというスローガンを掲げてやってきましたワタクシ、形のないフリージャズからスタンダードからシャンソンポップス、たいがいの音楽はなんとなしにこなしてきたのですが。
タンゴは簡単ではありませんでした。実体がつかめないくせに譜面がある、しかも長〜いフンドシ譜面、譜面台ってA4だと2枚、譜面台の横についているステーを広げても3枚しか乗っからないんですが、これを超える枚数もざらにある、こんな譜面を再生してなおかつそれ以上の演奏を畳み込んで…、そんでもって曲はあっという間の3分間。
練習を重ねて、3分間。今年伴奏させてもらったアマチュアさんのタンゴへのコメント。「タンゴは実に効率の悪い音楽」。はっはっは。効率が悪いというか、気風が良いというか、気前がよいというか、フンドシ譜面も繰り返しがないから長くなっているんですね、同じコーラスなのに随所に仕掛けがあるからダルセーニョで割愛できないんですよ。

ならばクラシック音楽の亜流と割りきって、譜面どおりに何の変哲もなくやれば良いとも言いたくなるんですが、ここがまたクヤシイことにそれだと面白くもなんともない。南米音楽ですから、リズムの裏に仕掛けが実はあるのです。これはクラシックでは使わない手法というか、逆の方向にある音楽の要素です。この要素はジャズ方面が実は得意とするところで、都合良く言えば、クラシックとジャズの融合点みたいな解釈も出来るんですが。

そんなことを誰がすぐに出来るのか と言いたい。

その2・タンゴは単なる南米のポップスだった

始めた頃は、アルゼンチン産のフォークミュージックだと思っていたのですが、これはちっとも当たっていませんで、誤解の元もたいがいこの音楽はここにあると思うんですが、タンゴは南米産のポップス、それもシナトラとかその時代のポップスですね、現地では若い人がもっと今風のことをやっているようですね、でもそもそもマイナーな音楽に輪をかけたものですから、ほとんど誰も、ワタクシも知りませんで、知られているのは、戦後ブームになったタンゴ、それとピアソラ。
ハタと気がついたのは。地図を見てみますと、アルゼンチンはブエノスアイレス、ここからヨーロッパとニューヨーク、どっちが行き来しやすいかというとどうやらヨーロッパなんですね。
ワタクシはジャズで育っているものなので、結局アフロアメリカンが入ってない音楽は歌謡曲くらいしか知らないわけです。
知らない音楽だから当然、形から入ろうとしました。この形というのが、隣のブラジルあたりだとそんなにとんがっていないですよね、ところがタンゴはどこかやる気満々、攻撃的なもの、つまり小節の頭でスタッカートするあのチャッチャなものね、こういうものだと。
今はこれが間違っていた、遠回りをしたと後悔しておりまして、もっとふつうにシナトラがマイウエイを歌うようにガルデルが想いの届く日を唄っただけです多分。

その3・タンゴは浜通りと中通りの中間にあった

勢いでよくわからないタイトルにしてみました。その2のポップスだった はいいとして、ではなんであんなにクセがあるのか。このヒントはまずキューバあたりの音楽にありました。キューバの音楽はベースが一拍シンコペーション、正確に言うとアンティシペーションしますよね。あれとタンゴはおそらく成分が同じなんです。ブラジルはベースラインに乗っかる和音が8分音符前にずれますよね。同じ要素で、つまり海周りでこの南米なテイストはやってきた。
それに対してのテイストは、裏山、つまりペルーやボリビアからやってきた、つまりフォルクローレと言われる音楽ですね、これが融合していいとこどりをした、タンゴは融合音楽なので実体をつかみにくいのですが、これをまとめると

タンゴ=南米浜通り+南米中通り - アフリカ(アメリカ)成分
この公式でおおよそ検討がついたついでに、演奏もよけいな(タンゴとはこうあるべきみたいな)勉強をしないでもノンキにやれるのではと。

その4 タンゴは誤解される音楽だった

ところが日本でのタンゴは、ジャズでいうところの、カウント・ベイシーどころかベニーグッドマンみたいなものをさすことが多いようです。ジャズが好きな人で、ジャズといえばカウント・ベイシー、ベニーグッドマンって人はかなり古いかたかビッグバンドやってるかたか、つまり少数ですよね。ところがこれが多数だと思ってください。
マイルスもコルトレーンも若造で、あんなわけわからんものはジャズでないみたいと大橋巨泉に説教されるような感じと書けばよいでしょうか。Cパーカー以降のジャズをモダンジャズって今でも言いますよね。タンゴにはこのモダンとつくスタイルが出遅れた、またはあまり歓迎されなかったようです。
モダンタンゴという言葉は実はあります。これらはジャズと同じで躍らせる楽しませるというよりは聴くという方向に行こうとしました。
これが花開かなったみたいで、古いタンゴが今でもタンゴと認知される、これが誤解の大元と思われます。
私の演奏がつまらないのかもしれませんが、面白いことにジャズを聴きに来てくれる人は、ほぼタンゴの演奏には来てくれません。
やってる本人は、そんなに違うかな〜と思ってやってるのですが、先入観というのは案外強い要素ですね。これは最近わかるようになってきました。ベニーグッドマンを今どきコンボでやって面白がる人はあまりいませんよね。はっはっは。

その5 タンゴは即興に向かない音楽だった

そんなふうにモダンタンゴが日本はおろか、本国アルゼンチンでもパッとしなかったからか、音楽的にジャズが発展していったような方向があまり開発されていなくて、ピアソラとかあたりがそれを独り占めしてしまったというか、では古いスタイルのタンゴはというと、曲は短くてキメキメでそこを楽しむ、厳密に言えばこの要素にダンスという世界を魅了する要素が乗っかるので、ダラダラとアドリブを演じたり、キメるところをズッコケたりすることは忌み嫌われます。そもそも曲が長かったらダンサーがヘトヘトになり、気持ち悪くなってゲーって吐いたりしちゃうかもしれません、それほどタンゴのダンスは過激で、これが魅力なので…つまりタンゴに即興なつまりアドリブソロのようなものは「水増し行為」とみなされ、必要なかったようです。

その6 タンゴは名曲百選だった

私からアドリブを抜いたら何が残るか。これがワタクシの苦悩でありました。つまりギターのコードを読めて弾けるくらいで、あとはあまり何も残りません。モノマネ上手な芸くらいは残るか。
なのでジャズである自分と一線をひきましてやってきた、それでもやってきた理由は、タンゴの曲は、名曲ぞろいで曲が私を魅了したということでした。まあパターンはあるみたいなんですが、ジャズと違ってというか、昔の歌謡曲に似て、起承転結やドラマ性がハッキリしており、歌謡曲で育った私の弱いところにズケズケと入ってきました。

その7 タンゴは演奏者が少ない音楽だった

これは我が国ではということです。理由はここまで書いたとおりで、暴露される前から誤解に塗れて、しかも誤解を招くようなスタイルが案外求められたりするので、我々ポピュラー方面、つまりアメリカ音楽を通過してきた人はなかなかやってみっかという発想もきっかけもありません。加えて数少ないタンゴ奏者の多くはクラシック出身で方法もクラシック的なので、そっち方面以外の演奏家(つまり譜面が苦手な人)の雇用が難しく、つまりは演奏しようとする人が少ないと。

その8 タンゴは奏者の演奏レベルがあまりに高かった

そんなで、選びぬかれた人材、白目で譜面見ながら足で楽器を弾けるような凄腕の若い演奏家がタンゴの世界を作っていて。創造性を別とすればこれは英才教育を受けていない私を最後のチャンスと本気にさせ、最初っからこういう連中に叶う成分ではないと諦めさせてくれました。

その9 タンゴは練習の連続だった

しかし逃げ出すのもクヤシイので、ものすごーく練習することになったら少々譜面に慣れて、ギターという楽器そのものを一から奏法を見直すことができました。ギリギリこの年で出来てよかったけどもっと早く出会えたらよかった。

まあこんなところでしょうか。どうです、難しくてわけわかんないでしょう、南米音楽の砂地獄、難しいからこんな書き方したってわけわかんないんだから。

 

10年とはどんな長さなのか、たまたま昨日過去のスケジュールを見る機会があったので振り返りましたところ。

ワシ、前半10年ジャズと渋さ、後半10年タンゴ、ただそういうことかい。

本人はジャズに加えて、まあちょっと付き合ってやっかくらいでというつもりでやりはじめたんですが。

はっはっは。そういうことか。

ちょっと身分不相応だったかな。

まあ少々楽器の扱いがマシになったみたいだからいいか。

とういうわけで
・タンゴはとても難しい音楽です。

 

…。

今年の出来事でここ数年になかったことは。

自分のバンドを再開した。
ひょんなきっかけから再開したものですが。

人間、決意がなくても生きていると何かやろうとするものですね。

なんだか孤立無援な一年でしたので、今思うとこれはやってよかったと思います。
自分のバンド、イチロウカルテットの名乗って過去にやっていた路線。自分の楽曲を楽しみにしている人がまだいる以前に、覚えている人も覚えている共演者もいないかな そんなふうに思ってビビってやったのですが。

そんなふうに思っていたのは反省しなければなりません。みなさんありがとう。
音楽は夢とキボーの創造物ですね。

20数年前、私はそれを夢見てライブに通い、いつしか演奏もするようになり、音楽がやりたくてあれよあれよと仕事にしてしまいました。

ただそれだけのことで年月が新幹線の風景のように過ぎ去りまして。

タンゴというフィルターを10年間通して思うのは。

結局音楽は創造物であるのがやっぱりいちばん健全ではないか。

…。

過去を振り返る、懐かしむことにアヤがついた今この時代となっては。

創造物がやっぱり必要なんじゃないかなあ。

ないかなあ、と弱気なのは、こういう発言って、「まずちゃんと弾けてからねこのやろう」という反応が予想されるからで。

いやいや、創造物ったって、バッハみたいなものとか、ピンクフロイドみたいなすごいもんじゃなくてよくて。

それはアイデアひとつであったり、こうやったら面白そうとかそういうもので、その程度でも。

ないよりあったほうがいい。

創造物とは、例えて言えば好きな同級生にラブレターを書いたりですね、

他の人がくれたラブレター見せたり

偶然を装い帰り道で待つわ〜♪

こんな古い歌、同世代しかわからないと思いますが、つまりそういう可愛らしいもので十分で。

伝統を重んじるのも大切だけども。

バッハもPFも案外発想はそんなもんだったりして。

90年代を代表したジャズの作品、スイングジャーナル誌で評論家が上げたベストアルバムが、なんとメセニーのシークレットストーリー。

YouTube Preview Image

ジャズの伝統ある雑誌が、つまり多くの著名な評論家さんがマイルスさえも押しのけてこれを選んでしまった。

コレね。共演した矢野顕子がインタビューで言ってんだけど。

作者本人の「失恋ストーリー」なんですってね。

今聴いても、こんなもん、相対的なインタープレイも何もない、つまりジャズでもなんでもない打ち込みものですよ。

ライブまでやるのはさすがですが。

で、ワタクシ、愛聴盤。

なんでか。

失恋ストーリーなパワーと思い込みによる
つまり青春は燃える陽炎か♪な

夢とキボーの創造物ですよ。

ピアソラの路線、タンゴの未来と相通づるような気がしませんか。

…。

私はタンゴを好きになってしまったので、ジャズのスタンダードを今でも好きで弾くように、これからも同じようにやっていくと思います。

聴いてらんないカネカエセって言われないように練習していくのも同じことだと思います。

そんなふうに一年がまた過ぎていくんだろうか。

余裕があればそれでいいんだけどね。

余裕が持てればもっと楽にもなるでしょう。

今年の最大の収穫は

「音楽は思い詰めてやるものではないな」

ということでした。

ここ、実はとっても難しい。

来年のテーマです。

ワタクシのような力なきミュージシャンは、継続こそが命です。
一年間お読みいただきありがとうございました。

ナガイネ!のフンドシブログ、そんなわけで来年はがんばらないようにがんばります。

 

 

 

 

 

 

  1 comment for “私にとってタンゴとはいったい何だったのか

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です