Boo-ko イチロウQ1.0 2004

みなさまこんばんわ。

ナガイネ!で勝負のフンドシブログ。とうとうこの曲を紹介するときがやってきました。

なんつってもジャズに馴染みのないかたに向けて、という建前を勝手にでっち上げて書いてしまったんで、ここまではジャズと言ってもタンゴ風な編成だとかベースとのムード音楽的DUOとか、まあ比較的紹介しやすい曲をお送りしたんですが。

今回は離脱者出るだろうな~。

…。

イチロウカルテットがまだジャズ編成だった頃。

 

オレが昔夕焼けだった頃、妹は小焼けで、父さんは胸焼けだった。

わかるかな~。わかんねえだろうな~。

このようにジャズはとても自由なものでありまして。

では、この自由。

いったいなんなんだ~い。

お決まりのネタを連発させていますが、何なんだい。

そんなみなさまへ。

今回はコレ。20分ありますから気をつけてください。

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タイトルはboo-koという造語で、自分で作った言葉なので邦題は「ブー子」です。

フルートの北沢直子がフットプリンツというショーターの曲ありますね、これを演奏するとき、つーかまだ始まる前、イントロ部分で鼻血を出したことあるんです~♪という本人の告白を元に、我が家は一時、彼女のことを「鼻血ブー子」って言っていたのがそのままタイトルになっています。おならブー子じゃないですよ念のため。

譜面はコレ

一応テーマがこのようにあるんですが、譜面にFreeと書いてあるとおり、テーマ以外は何の決まりもない、いわゆるフリー・ジャズと言われるタイプのものです。

これを何で作ったかというと、オーネット・コールマンというフリージャズの元祖な人の音楽、本人が言っている独自の理論があって、ハーモロディクス理論とか言っていたもの、コレさっぱり何のことやらわかんなくて。

つまり、和音進行しなきゃ対旋律で成り立つってこと?だったら何をやってもいいってこと?

このように勝手に解釈しまして、そのとおりに演奏してみようという実験曲です。
なので、テーマ以外は、調性もリズムの速さ指定も和音も何もありません。

好きにやってるだけです。

ただ実はひとつだけ決まりというか、作者からの指示がありまして、それは「リズムは4ビートで」というものでした。

ファンクとかロックとかのバンプなパターンはやめて、リズムを演じたくなったら必ず4ビートにしてちょうだいとお願いしました。

 

最初にオーネットコールマンに興味を持ったのは、ジャズ喫茶じゃなくてライブアンダーの放映だったかな。あるかな?

YouTube Preview Image

ありましたコレです。

変な音楽だなー、オチョクってるなー、と思った反面。

楽しい音楽だなー。

これが感想でした。

この映像だと、途中からよせばいいのに、トランペット吹き始めて、そのあとバイオリンも弾き始めますね。トランペットは私でも吹けるような感じで、バイオリンはバカボンのパパが弾いてるような感じです。

問題はその後またアルトに持ち替えたときの、スイング感。

パーカーみたいだな、と思ったのでした。

で、ワタクシのほう。今回のBoo-ko。

4ビートにリズムを指定したのは、(お手本のかたのように)楽しくありたい、リズムにこそ会話というか調和を持ちたい思ったからです。

スイングしなきゃ意味ないんで。= してりゃなんとかなるかと。

あとはすべて自由です。

このテーマをもし端折ったとしたら、4ビートであること以外、すべて自由な演奏になります。

4ビートな指示をも出さなかったら、ほぼ決め事はなくなります。

でも演奏は成り立つんです。そういうバンドをやっていたことがあるんですが、成り立ちました。どちらにしても演奏者全員が、がそれぞれの音と全体の音をずっと聴いて今なにをしたらいいか判断しながら進めているんですね。

 

ジャズの定石フレーズを発表することよりも、むしろその場で作曲という要素が強いのもこの手法の特長です。
モチーフをとにかくでっち上げてそれを展開させていくわけですが、決め事がないので一旦アイデアが出るとそれを何度かフェイクしていったり、移調したり、まともな?音楽でやるような要素を使ってわざと一旦トーナルらしきものを演じて句読点を打ったり、そういうことも可能です。

つまり鼻歌状態で、自由に出てきたものを演奏できるシステムってことね。

この手はコツがありまして、相手の音をよく聴いていると、モチーフになるヒントや、モチーフそのものは相手がひねり出してくれる場合も多いんですね。なので集団作曲-朝まで生テレビ状態、こうなれば自分を追い詰めなくてもネタはけっこう継続するんですね。

内容が自由に挑戦しているわりには、譜面のとおり、テーマは案外細かく書かれています。

始まりと終わり、とくに終わりのところでは、内容が内容だけに、お客さんにお疲れ様でしたとか、はいここで拍手くださいみたいなものが必要かと。そうでないと収拾がつかない、これが表向きの理由で。

裏の理由はというと、この曲のBの部分、これが実は展開のネタ&収拾の合図になっているんですね。例えどんなことになってもこのフレーズに戻ってくればなんとかなるという意図です。

平たく言えば、4ビートのリズムに乗っかって、鼻歌な思いつき演奏を、みんなを巻き込んでやってしまおうという曲です。

オーネットの理屈とは全然違うのかもしれませんが、不思議と共演者にはウケる曲で、じゃあこんなのもあっていいかと。

…。

ギターはこの時の編成のときは、Gibsonの335です。この演奏はエフェクターも使って、いなたいロックな音になってますねー。

オヤヂが弾く勘違いしたロックって感じで、微笑ましいですね。

アレ?ディレイも使ってる。この時のセッティングの写真があったはずだな。

ありました、コレ。

effector480_360

右から、BOSSのOD-1、MAXONのこれなんだっけ?70年代のオーバードライブ、BOSSのDD-01、MAXONのDDこれもなんだっけ?と、ボリュームペダル。

渋さの時のセッティングそのままです。オーバードライブが2つあるのは音色を使い分けているのではなく、メインはMAXONで、その前にブースターとしてOD-1を仕掛けました。フィードバックさせたいとき、本多工務店なときにOD-1をONにします。
ディレイが二連装なのも、音色で使い分けているのではなくって、ひとつは短めに設定してあって、もうひとつは飛び道具としてロングな状態で、ボリュームペダルを使ってストリングスみたいな音とか、さらにディレイタイムを手動で回して、モジュレーション効果を出します。ただコレ、手動でやるということは椅子に座ったまま前屈状態でやんなきゃなんなくて、当時これで腰を痛めまして、それ以来、ほんとうにここ一発の時だけしか使わなくなりました。

このセッティングからBOSSのSE70っていうマルチエフェクターに送ってステレオ分割させてアンプ2台で出力してました。

どうです、ガットギターでタンゴをやっている人と同一人物とは到底思えない、ロックンロール小僧なこのセッティング。

 

エレキギターはこんなふうに音を装置で変化させることが出来て、楽ちんだと思うでしょう。

ところが、コレ。

練習してないと、不測の事態が。

足が攣る。

数年前のこと。

かなり大きいホールで、楽曲がピアソラのバンドネオン協奏曲という3部構成の長い曲で20分くらいのもの。

ワタクシには不釣り合いのものが回って来まして。

こんなエフェクター使わなくても良かったんですが、一発かまそうと思っていたんですなあ。

意気揚々と、こんなもんしばらくぶりに使ったもんだから。

始まってからすぐに足がつりまして。

本番で。

こういう時、人間って変に冷静になるもんですね。演奏中に、まず頭に浮かんだ言葉は

「さてと。」

次が

「どうするか。」

まだ20分ある組曲、退席して靴脱いで足をモミモミすることは出来ないな。

確かこういう場合は、まずつま先を上に上げて…、イテテ。

とりあえずやらなければならないことは何だっけ。

エフェクターをOFFにして、暴走を防ぐこと。ディレイはそのままになってしまうと、取り返しのつかないことになる。

なんせ、現場は観衆1200人、ワタクシ脇役、主役は期待の大型新人、のデビューコンサート。

第一楽章が終わって、ディレイが「ボヨンボヨン」と鳴りっぱなし、これはとてもまずい。

まず組んだまま使用不能になっているつったほうの足を、つま先を上げたまま戻そう。

上半身で演奏しながら、下半身がソロリソロリと、

おそ松くんのイヤミってキャラいますね、

1200人の前で、その「シェー」のポーズです。

で、なんとかOFFにして、収束宣言。事なきを得たんですが

見ている人はサゾかしナゾのギタリストと思ったことでしょう。

ギターのエフェクター装置。

あんなもん踏めばいいんでしょ、そしたら音が変わるだけでしょ、とそこで言っているピアニスト並びにバンドネオン奏者諸君。

これはこれで楽器なので、ちゃんと練習するものなのよ。ただ踏むだけと思ってもらっては困る。

まあ意図した音にセッティングしてただ踏むだけなんだが…。なんせ危険物ですから一歩間違うと取り返しのつかない事故になります。

今回の音源くらい自由であれば、そんなハプニングも利用しちゃうんですけどね。

…。

今回の曲Boo-ko は、メンバーと現場を選ぶ曲なので、いつでもどこでもできませんでした。

いくらブレッカーみたいに上手に演奏出来ても、こういうタイプのものに興味がない人はおそらくこの曲はムリで。

聴くかたがたも少々この手に慣れてないと、こんな演奏、単なるテキトーな長いフンドシセッションに聴こえちゃうかも。

数ある要素の中のジャズとして中核なものをクローズアップして行うタイプのものなんで、
音楽としては偏りはあると思います。
つまり好き嫌いがハッキリする。

その中核たるところというのは、自由と調和のバランス、こう私は考えています。

自由ったって、人が納得しない行為じゃ自分はよくても回りはそうはいかない。つまり不自由な人が現れる。

それはいいか悪いかというと、よろしくない。

じゃあみんなそれぞれ勝手にならみんな自由でいいんですが、調和はしにくい。というか しない。

調和しない音楽は難解で、やるほうも聴くほうもけっこうしんどい。

自由っていったいなんなんだい。

参加してなくても調和していればいいわけで。

たまに調和してない方角を向いても、サウンドが調和していればいいわけです。

どうです、意味不明でしょう。

…。

20分もある演奏をムリヤリ聴かせておいて言うのもヒデー話ですが。

コレ、録音物として価値があるかどうかわかんないです。

ライブだからこそこういうのは面白いわけでね。

夢とキボーの原点よ。

もし我々がもっともっと上手くなって

もっといろんな発想や勇気を持てたら

組曲にだってなるかもしれないじゃないですか。

いやコレはマジで。

足がつらないように練習しないと。

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