心の目♡

みなさまこんにちは。超~~おひさしぶりです。

9月に思いの丈をそのまま記してから、あっという間に12月末。

今9月のフンドシ文を読み返してみましたところ

何の進捗もなく、言い換えれば無事に12月までこぎつけました。

昨年の11月に荒治療が終わってシクシク泣きながら帰宅しましたので、

あ っ と い う 間 の

タメゴロー。(”あっと驚く”が正解)

あっという間に一年が過ぎ、ああ、この病気って2年とか5年とか兎角数字が出てきますよね。これっていつからかってご存知ですか?主治医の先生に聞いてみたら告知からでもなければ経過観察になってからでもない、治療が終わってからなんですって。

なので退院後ver2.0と名乗っていたワタクシ、先月すなわち11月に皆様のお陰でめでたくver2.1にアップデイトいたしました。

ありがとうございます。

では、どこがアップデイトされたのか。

目玉はコレ。→ 応援される側から応援する側へ。

といってもいつまた応援される側にまわっちゃうかわかんないからこの病気は意地悪なんですがいまのところ、再発に怯えてひらがな2文字のこの病気とともに生活している以外は、まあ声はカスカスで音量も相変わらずだけど、唾液はまだ出てなくて口内ねっちょり朝食がパンだと口ん中にくっついて食えなくなっちゃうけど、そんなことは生きてる上では大したことじゃなく、つまりピンピンしていますので。

こうであるうちは経験者として応援できることはしたいと考えてます。
といっても目の前のことを相変わらずこなしてるだけなんですけどね。まあステージ3の進行がんから復帰という例として励みになるって言ってくれるかたもいるんでね。

ということくらいで、ver2.1になってもあまり変わりません。目の前のことだけ見つめて怖いことや縁起が悪いことから気をそらして全力で逃走、この姿勢には理由があって。

私のは、再発するときは2年未満が多いらしいのですよ。

芸能人のかたの例はまさにそのとおりなんですね。

しかも命を落とすことが多いから、これはマジで避けたいところです。

命が助かっても、もう放射線は受けられない、ってことは手術になってしまう ってことは今度は重度の障害者にって道しか残ってないんですね。

どうにかして避けたい。

なので、ver2.1すなわち来年11月までの約一年を最大レベルの危険ゾーンと捉え、後ろを振り向くことなく正面突破で逃げ切り。

と計画してます。

フェイスブックですっかり皆様に関わっていただいて。

あと一年弱ね、下手っぴな写真見せられて鬱陶しいし時に辛気臭いでしょうが、嫌なら飛ばしていただいてかまいませんのでね、そうでなければほんとうによく撮れたときだけでいいんでイイネくださいね。

…。

 

カメラを手にして、ひとりであることを思い出した。

それはまだ独身の頃

私はひとりになりたくてバイクで旅ばかりしていました。

ひとりになれれば、必ず出会いがやってくる。

これはほんとうにそうでした。

つるんでいるとそれは楽しいけども、つるんでいる仲間だけしか触れ合えないってありますよね。

私は昨年の病室で

音楽とは関わり・共鳴 私にとって演奏とは行為ですと

繰り返し書きました。

それはそのとおり、今でも全く変わらないどころか、もはや真理と信じてます。
ただし

関わり、共鳴、これはそれに見せかけた類似品も見かけますからご注意ください。
譜面通りだろうが、何も決まりがないインプロだろうが共鳴するものはするし、しないものはしない。

なんでしないか、それがですね。

わかるようになってしまった。
…。

話題を変えますね。

心の目

また連発してわけわからん話?

いやこれはわりかし簡単にお話できる。

心の目って書くと、まあオカルトなテイストになりますが。

そんな難しいことじゃないんすよ。

コレね、

立ち止まっていろんなものを敏感に観察するってことなんだよね。

ただそれだけのことなのに

私は大人になってから去年まですっかり忘れておりました。

我が家は親が残した家で、サザンカの木があっちとこっちに2本あるのでした。

これが今ね下水の上にあるからか肥料がいいみたいで爆発的に狂い咲きしてて、小鳥が蜜を吸いにやってくる。

毎年営まれてきたこんなことを今までワタクシ

花が咲いているどころか、これがサザンカということすら知らなかった。

ではそれまでどう認識していたか。

花が散って道路に散らかっていやだなあ 以上おわり

コレですよ。どうです鈍感にもほどがあるでしょう。

こんな心構えではたいした演奏できねえなと反省してます。

 

うちの近所はお年寄りばっかりで。

うちと違って庭木もきれいに手入れされていてですね。季節ごとに花をつけるわけね。

心の目が開いている人はそれをちゃんとわかっていて、

育てる人と通りすがる人、双方に関わりがしっかり生まれている。

ここんちのおばちゃんていねいにやってからな って共鳴していたりして

当たり前?いやいやすごいですよ。

世の中がどんなにクソッタレになってもこういう腰の座った想いというか、営みというか、
これがある限り、生きていける。

愛っつうのはこのことなんじゃなかろうか。

今気がつく っつうのもいかがなものか。気が付かねえよりマシか。

 

 

で、心の目ね。

さっきの演奏の話に通じるんだけども

わかっちゃうんですよ。

人を利用しよう、保身を図ろう、自分の都合のいいようにしよう、歴史に名を残そう、注目されようなどという人の顔ね

共通するものがあるんですよ。

なんでわかるようになったかっていうとね、心がきれいな人の目と鳥とか虫とか生き物の目が同じパワーを持ってんの。それに気がついたらさ

 

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ね。ぜんぜん違うでしょ?

 

…。
関わり・共鳴と私は今回も書きました。

私自身が心の目を開いて、心に耳があればかっぽじって

って状態にしないとなんにも起こらない。

ワタクシ、ボーナスステージで生きてるようなもんなんで。

いつ「終了~~!」とかホイッスル鳴らされて かもわかんない、ずっと怯えて生きていくという、これが病気になるってことなんだよなって。

なので、長生きするつもりだけど、一方では

時間がないかも。

この大いなる矛盾にワタクシ、お読みのとおり「わけわからん状態」なわけですが、数少ない収穫としては。

「自立して関わる」

これがおそらく私がやろうとしていること、または演奏の本体です。

私が憧れてきた素晴らしい先輩たちが証明してくれています。でしょ?

持たれ合ったり、ちちくりあったり、お手々つないでない よね?

自立した状態での心の目、耳、これがどうしたって必要ですよねー。

 

たとえ一人でも音が鼻とか耳とか、穴という穴からこぼれ出るような、そんな者同士の演奏

今となっても私が向かうべき方向に違いないと思います。

…。
心の目を開くということは、立ち止まって敏感に観察すること。

私は昨年、あの異空間(がんセンターのこと)で

ある種の音、ある種の演奏の姿を聞いた 気がするんですね。

それは、相手のひとり?ひとつ?は明らかに私であるんだけども

それを含めたすべてに対して

それはガラス窓を透明人間みたいに通り過ぎて風が吹くような

そんな音であり演奏でありました。

心の目、耳、

これらが目覚めていれば

私もいつかそんな演奏ができるようになるのかな
それにしても

あれはいったいなんだったのか。

彼岸の彼方から聞こえてくる

音楽だったのかも。

 

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もう楽器を売ることはあっても買うことはないだろうという私の手元に

うっかりやってきた白いこのギター

ヘビメタなギターに埋もれて破格の値札をつけられ私の救出を待っていた

弁天様の仕業としか思えない運命の一本。

彼岸の彼方からやってきたのかもしれないから、注意深く音色を聞いているんですが。

ジャズであってもなくてもタンゴであってもなくても

私に向かっているけれども私は全ての中のほんの一粒、そんなイカれた話と同じで

それでも残るもの 残る音 残るメロディ

心の目を開いて、耳をかっぽじって

捜してみよう。

立ち止まっていいんですよという天からのメッセージ

これはおそらく私へのギフトなのでしょう

朝っぱらからカメラぶら下げてホケー♡単なる不審者

そんなこと許されない世の中ですからね

これこそ弁天様がくれたご褒美だと思って

立ち止まって敏感に観察していこうと思います。

 

…。

 

この一年、こんなわけわからんちんな状態なんで

エクシシストのテーマか愛の賛歌か

いずれにしても、さぞかしすごい音楽が創造できるのかもとスケベな心で待っていたんですが。
スケベどころか、屁も出ない、何も浮かんでこないという。

ただ風が吹いているだけ~♪

はっはっは、期待は大ハズレ~~

このままなにも出てこなかったら?

長生きしてホケー♡とですね、待とうと思う。

 

…。

 

誤解の多い病気です。

治る病気と思っている人は、治ったのに悲劇のヒロインやってんじゃねえと

死ぬ病気と思っている人は、関わると疫病神がうつるからと

どっちにしても去る人は去る、これってがんになった人の多くがそう言っているんだよね。

健常者の20数倍、きわどい話ですががんに羅患した人の自殺率ね、がんだけじゃないとは思うけど未来が予知されてしまうのも特徴だから精神的ダメージもでかい。

私は多くのかたがたに応援してもらって幸せです。

皆さんとの関わりが救いとなってやってこれています。心の目でみてくれてありがとう。

ついでに下手な写真も観てくれる。

数撃ちゃ当たるで、たまにマシなのがあると

イイネまでつけてくれる。こっちはお世辞でもうれしいわ。

調子に乗って、上のランクの一眼レフにうっかり手を出すところでしたが。

私にはまだやりたいことがあるんで昨日、渾身の力で我慢したところですハアハア。
本業のことね。

先日買ってしまった最新のコレ

 

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こんな高機能でハイファイなもの使いこなせなさそうですが。

必要になる日がきっと来るぞ

って弁天様が言うからさ。
自立してその日を待つことになりますよ。

”音楽は夢とキボー”の金言ここにあり。

その時が来たら宣伝しますから、這ってでも聞きに来てくださいね。

…。

 

我々は生きている限り、ずっと旅を続ける それが宿命なんでしょう。

高速を降りて、国道から県道に、県道から農道そして未舗装の林道に。

立ち止まるのもまた良い旅でしょう。

カメラは独身の頃、バイクで旅をしていた頃、

鬼無里街道っていう道の途中にトンネルがあって

そこに入っていったらなんだなんだ危ねえじゃねえか、暗いトンネル内から長いレンズを付けたカメラがこっちを向いて何本も。

その方向を振り返ったら、長いレンズが狙っているトンネルの出口から見事な北アルプスが。有名な撮影ポイントらしい。

バイクを止めて私も持っていた小さなカメラで撮って帰った。

そんなカメラじゃ山は写っていませんでした。

いつかあそこで撮ってみたい、そう思ってEOS買ったんだけど、その頃は結婚してバイクを降りてしまってそれっきり。

バイクの旅人の成れの果ては山岳やるかカメラやるって誰かが言ってたな。

カメラへのあこがれはその時のまま

30年の時を経て、人生がまさに未舗装の道に迷い込んで

立ち止まって、敏感に周りを観察し始めたときに

弁天様というよりは荒治療を乗り越えたご褒美にと死んだおふくろからのプレゼントだったのか

FZ1000という万能カメラを手に入れて

思い出しました。

旅は高速道路より田舎の古びた道のほうが、出会いも発見もある。

迷ったり、引き返したり、途方にくれるのも時が経てばいい思い出になっているものでね。

 

撮影ポイントのトンネルも、急いでいたら通らないコースでした。

 

…。

 

ミュージシャンでない人生があってもいいのでは?

入院当日、うつ状態で相談を頼んだソーシャルワーカーの人に言われた一言

受け入れるとは諦めるということ

趣味を仕事にしてしまった身分ですから趣味を持ってはいけないと生きてきたのでね。

自立とは自ら 立ち止まる ということなのかもね。

そんなことねえか。
再発防止、すなわち免疫アップの必須科目はストレス回避と

笑い なんだって。

なので、

努めてヘラヘラしてます。

ヘラヘラして朝から公園をカメラ持ってうろついてます。

目の前のことだけやってます。難しいこと考えられなくなってます。

どうです、そうとう来るとこまで来てる感じでしょう?

まだ職質されてませんが、それは可哀想箱に入ってるから?
そうそう公園っていえばこいつら親子ね。

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前回のフンドシ投稿のとき、つまり9月時点ではまだヒヨコだったのよホラ

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それが大きくなっちゃって(2羽しか残らなかった、自然は厳しいね)

私だけじゃないんですよ追っかけてんの。

こないだもボランティアのお年寄りに大きくなっちゃってねと声をかけられた。

先日はスナックのママ風の女性がスナックの客風の男性に、あれがおっかさんだよ息子と似てねえべって説明してたし。

みんな心の目で応援してんのね。

冬になってから目立つ被写体がガクッとへったけど

こんなふうに鳥が帰ってきてにぎやか

 

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桜が咲くまできみたちが主役よ。

黙って観察してると、たいがいなにかしらやってくれる。

期待してるぜベイベー。

 

生き物は、ただ生きているだけで 素晴らしい。

ただ生きてるのも楽じゃないけれど

ただ生きているだけで、まずはそれで十分なんじゃないかな、

その上で、誰かと関われたり、共鳴できたりしたら

こんな幸せなことはないよね

お読みいただいたとおり

難しいことはいよいよわかんなくなっちゃったけど

今私はこんなふうに考えているんです。

 

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