想いの届く日 後記

みなさまこんにちは。

ワタクシのソロ演奏に来ていただいたみなさま、ありがとうございました。

ギターを仕事で弾く者として、ソロを一晩お任せいただいた日暮里Portoさんに感謝しています。日本でも有数の腕利きの出演者ばかりの店ですから、ようやくワタクシの長年のノルマであったソロギターをやったぞ!な記念になりました。ありがとうございます。

終わったから言いますが、ワタクシにとっては大事件でした。

で、感想です。

バナナしか食えないほど緊張しました。

これは感想でないか。

感想は…。

ソロは…。サビシイ…。

ひとりで弾くというのは、このさびしさに耐えてナンボなんでしょうか。実にサビシイもので、それから逃げようとすると、つまりお客さんに擦り寄って行こうとすると、サービス過剰で乱暴方面に向かい始めて崩壊する、退屈なんじゃなかろうかと心配し始めて乱暴方面に向かいはじめて崩壊する、合奏のときは相手の音をそこそこ聴けている自信があるんですが、というかそれだけでやってきちゃったんでしょうなあ、自分の音が耳にも心にも入って来ない、この訓練をしてないから、サビシイのは当然で。

この精神状態では、マダマダだと反省しきりです。

もっと誰もいないところで弾いているような、象が踏んでも壊れないような、何があっても動揺しない強い心が必要だと痛感しました。

 

今回は、この店で誰もやってないことしか選択肢がないように捉えていたのでタンゴの曲をたくさん、それと自分の曲を2曲ほどやりました。

風の吹く町もはじめて最後までひとりで弾いてみました。

リターンも弾きました。

この2曲は楽曲に意味を持たせてあるものなので、わりかしストレスなく弾けたかと思いました。

つまり そういうことなんですね。
昔の話ですが、我々楽器奏者は、言葉、つまり歌詞を持ちませんよね、これを言われたことがあります。
言いたいことがあるなら歌詞を書いて歌えばいい、渋谷の駅前で演説すればいい。
その頃とても影響された言葉でした。
今考えるとコレ、けっこう極論ね。
まあ正論だとも思うんですが。
キースジャレットの本で本人は、ソロコンサートについて、具体的な情景を思い浮かべて演じることはないと言っています。

今回は、心を込めるとか、想いを伝えるという、ワタクシがまだ意識してやったことのないものへのチャレンジも要素にあったんですが。

コレも、感想を言いますよ。

好き嫌い以前に

「そんなこと、やってる余裕がなかった」

やろうとすると、気が散って演奏にならない。
はっはっは。
こうでした。
想いというのは、やっぱり自然に出るもので、それでいいような。

風の吹く町 は、情景そのものが楽曲に仕立てあげてありますし、リターンは想いそのものが楽曲になっています。

この2曲は、歌詞を書けと言われれば書けるような曲です。

でも、歌詞は副作用も持ち合わせますよね。インストはそれがありません。どう聴かれてもいいし、伝わる人になんとなしに伝わるくらいでいい。その軽さがインスト演奏の個性ですから。
なので、そういう演奏をしたければそういう曲をやればいいというのが、私の感想でした。
アディオス・ノニーノというピアソラの名曲、私をタンゴに振り向かせたきっかけの曲です、今回これも演奏してます。
コレ、内容はご本人の父上への鎮魂歌というものですね有名な話。でも私はそう感じて弾いていませんし、私も親父の葬儀を出した本人ですが、そのときのことを演奏中に思い浮かべることもなければ思い出すこともありません。

こんな難曲、そんなこと考える余裕がないからね。

つーか、そんな難曲、やんなきゃいいのに。

ではなんでこの楽曲を選んで弾いているかというと、いいメロディと響く和音が、異空間を作りやすいからかな。入り込みやすいというか。

いろんな意味ですごいエネルギーを持った曲だと思って、それをそのまま弾いてます。うまく演じられたらそのエネルギーがロスなく誰かに伝わるような。
それならそれでいいような。

で、前のフンドシで予告していた、想いの届く日 は、

やりませんでした。

やる予定だったんですが、演奏しているうちに、自分の中で決着がついてしまいまして。
もっと自由に演奏が扱えるときにこそ、こういう定番バラードは思いを込めて演奏する出番があるという感じで。

わりかし得意なレパートリーなんだけど。

はっはっは。今回はたくさん勉強になりました。

結局ゲストで唄ってくれたコレリンとの数曲がいちばん自分らしかったのでした。
…。

でも聴いてもらえる状態でソロ演奏できるというのは、とても幸せなことです。
数年前、聴いてもらえない状態でのソロに繰り返しチャレンジして、音楽というのは、自分の力だけで出来るものではないんだなあと。

まあこの悔しい経験があったから、今でもソロ演奏を諦めずに出来てるんで、結果的には良かったんですが、厳しかったですね。コテンパンでした。思い上がっていたんですね当時は。
ワタクシの演奏にどれだけの価値があるかはわかんないのですが、お酒なんかがそうで、高い大吟醸なお酒も飲まない人からみれば、ワンカップと同じでね。

Portoは、なんと5年ぶりの出演だったそうです。先月プチでやったのイチロウQが7年ぶり、私っていったいここ数年、なんだったんだろうね。
それでも忘れずにいてくれるかたがたにほんとに感謝しています。
まさに一歩ずつです。
なんでもかんでも首を突っ込んでやれる時代ではないですしね。
自分しかできないこと、なんて書くと大げさですが、大切にしていきたいです。
それは昔と比べて、ほんのいくつかになってしまったような気もしますが、まあ今はそれでいいでしょう。
そもそもそうだっただけでね。そんなに器用じゃないんですよミテクレほど。

生き残れるかどうか、ちょっと前は気にしていたこともあったんですが。
やめなきゃ、いいだけじゃあないの。結局。
なんかやれと言われれば、不得意なことはふつうやりませんから。

はっはっは。

…。

ソロはね、最終手段ですよ。
もし誰もまわりにいなくなっても続けるならば、ソロしかないですもんね。
なので、やっぱり一緒に演奏してくれる仲間がいるうちは、そっちがいいです。
自分しかとは思ってませんけど、合奏中の反応力は、得意としてきた要素ですし、自分もここは充実していると思っています。

それだけでやってこれた、つまりハッタリでやってきた時期も長かったように思います。
ライブ専用なんで、正確に演じるほうとは方向がちょっと違う得意技ですが、ライブっていうのはそもそもそういうものが醍醐味でね。

雑な自分の演奏に嫌気がさして、ここ数年矯正をはかったものの
向いてないものは向いてない。

というか、つまんないものは長続きしない性格よワタクシ。

生まれかわってまたギター弾ける人生だったら、今度はクラシックギターもやりたいなって感じです。

 

ソロというのは、自分との合奏だよ、と、若い頃教わりました。
次回またソロのチャンスが巡ってきたら、その時こそ、上手く弾こうとしない方向で。

それは合奏のときと同じこと。

自分との合奏。
そんなことができたら夢のようです。次の目標にしたいと思います。
みなさまいつも応援ありがとうございます。

…。
そんなわけで、数年引きこもって練習ばっかりしてたら、すっかりビンボーになってしまいましたので。
近々、サイト立ち上げて、自宅や出張でレッスンを募ろうと思ってます。ネットレッスンもやったら?って仲間に言われたんで、これもチャレンジしてみたいと考えています。
お近くのかたに、特に常磐線沿線、茨城県南地区に、ギターを習いたい、ワタクシの変な芸を知りたい、ジャズやタンゴなギターを悶々と弾いてみたいかたがいたら紹介してあげてください。

ワタクシ、心のどこかで「ソロもできないギター弾きが人様に教えていいものなのか」という引っ掛かりがあったんですが、今回のソロで(内容はともあれ)やっとこさそのモヤモヤがなくなりましたんで、これからは堂々と告知したいと思っています。

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