Ilusion de mi vida – 我が人生の幻想

みなさまこんばんわ。

ナガイネ!で疲れるフンドシブログでございます。
自分のバンド動画をいじりながらタンゴにご縁のないかたに向けて、タンゴの解説をしております。

今日の楽曲はコレ。

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いい曲ですねこの曲。Ilusion de mi vida 邦題を「わが人生の幻想」と言います。

何回か前にご説明したように、タンゴは「タンゴ、ミロンガ、ワルツ」と大雑把にリズムの様式でカテゴライズされまして、この曲はお聴きのとおり、ワルツです。

ジャズ方面からの感覚だと、ジャズのワルツは、こういうズンタッタな正調三拍子をほとんど使いませんよね。スローだと小節1つ分、そこそこのテンポでも、3つで刻むことはあまりしません。

これはむしろジャズの個性で、ジャズはアフリカのポリリズムが大きな要素だから、3つを型にはめないということなんでしょうか。タンゴやシャンソンなどのワルツはクラシックのワルツの様式ですね。
ズンタッタワルツ。ジャズやってる人だとちょっと違和感があるのかな。サーカスとか遊園地な感じね。
タンゴのワルツもまあこの部類なんですが、ズンタッタを正確に刻むんだけではなくて、やっぱりタンゴなんで、3つ目に例の仙台なアクセントが来ますからここをいじってみたり、もうひとつ、これはペルーなんかのフォルクローレの技、小節を2つ分とって、これを3つに割る、2分音符が3つ続きますねこうすると、これをまた2つに割って、みたいなアフリカ系とはまた違ったタイプのポリリズムをワタクシは使っています。

演奏をいじってやってきたこのシリーズですが、この演奏は悪くないと自画自賛してます。

それよりなにより

ダンスが素晴らしいですね。

我が人生の妄想というタイトルがそのまま切ないストーリーになっているケンリリ師匠の創作です。

おふたりの真骨頂です。

ケンジ師匠が何でホウキを?ここはアドリブで、たまたま現場の楽屋にあったものを使っています。

幻想男というわけですね。なるほどー。

人形に扮したリリアナねえさんが、妄想男の世界の中で、魂を宿していきます。

実にチャーミングですね。

これだけの大演技でありながら、ドカーンの拍手なオチをわざと避けて、最後にさらなるオチを持っていくところがさすが芸人ですね。アレ?芸人?どちらにしてもニクイですね。

…。
この楽曲をおふたりと一緒に演じますと、タンゴはこうであるべきというある種の威厳というか姿勢というか、そういうものから開放される感覚になります。

このダンスはアルゼンチンタンゴのダンスを知る人からみれば、タンゴのダンスでありますが、知らない人から見るととてもオリジナルなパフォーマンスですよね。

これは実に素晴らしいことだと思います。

…。

ところでこのバンド。主催者のかたにプログラムを印刷するから出してくれと言われる場合を除いて。

楽曲は当日、本番前に決まります。この一連の動画の日もそうです。
あり得ないですよね。ジャズじゃないんだから。

まあ、当日の空気に合わせてメニューを決めるってことでしょうか。

ひどいときには本番10分前とか。30分前に弁当食ってるなら逆にすればいいのに。

食べたばっかりだとMCでゲップとか出るからこうなのか。

なので。

10分以内にメンバーは譜面を用意しなきゃなりませんからもうたいへんです。2枚ある投げ捨て譜面の2枚目がないなんてことも一度や二度ではありません。投げ捨てたら続きがないのでギョッとします。
そのときは如何にもちゃんとやってる顔をして弾くふりをしなければなりませんので、ちゃんと弾くよりたいへんです。

でももっとたいへんなのはダンサーさんで。
衣装がありますから。
一般的にタンゴのダンスはワンステージに1曲か2曲くらい、特別扱いなデモンストレーションとして扱わることがタンゴは多いんですが。

このバンドは人使いが荒いんで。

例えばずっとご紹介している桜座では。

今あたらめて数えてみました。

Part1 = 4曲
Part2 = 5曲

どうです、荒いでしょう、ダンサー使いが。

何が大変かというと、体力的なことだけでなく、ダンサーさんは曲ごとに衣装を着替えます。上記桜座公演ですと、全部で8回着替えています。(メドレーが一回あるので9-1=8)

前回お話したように、タンゴの曲は短い。吉田拓郎の「イメージの詩」の半分以下、ものによっては2分なんていう、かに道楽のCMソングのような長さのものもあります。

この間に着替える。

市川猿之助のようです。

楽曲が10分前に決まることにクレームのひとつもつけず、何が来てもいいように、全部の衣装を用意して楽曲の決定を待つ楽屋はフリーマーケットのように、色とりどりの衣装と靴が所狭しと並んでいます。

 

…。

長年この仕事をやっていて最近やっと気がつきはじめんですが。

ライブね。

生なもの、ダンスも入った演奏ですね。パフォーマンスと言っていただいてもいい。
生じゃなきゃ出来ないことがあるんですよ。

だからこうやってネットで動画を流したりしてもいいかと思ったんですね。

ライブはその人の生き様そのものが売りでしてね。

身近でそれを感じるからライブなんで。

…。

死んだ親父に感謝しているのは、親父は落語とか歌舞伎とかが好きで、たまに連れていってくれたんですね。

それまでテレビでつまんないと思っていた落語も歌舞伎もプロ野球も、生で見ると全く別のものでした。

それは、単にその話の内容が面白いとか、上手いとか下手とかそういうレベルではなく

その呼吸や動き、動揺、安堵、主観や主張とは逆方向を目指して集中するパフォーマーの姿に感動したわけです。

感動を誘うのは、その人がそれに賭けているものそのものなんだなあと。

…。

タンゴもタンゴのダンスも生で鑑賞するというイメージがピンと来ないものかもしれませんね。

ジャズはけっこうライブなものとして定着したようだけども。

スズキイチロウはジャズを放り投げて、タンゴとかいう音楽に乗り移ったらしい。

そんなに儲かるのか。

はっはっは。

変わらないですよどっちも。

ついでに言うと、放り投げてもいない、同じ行為ですよ同じ。

…。

自分じゃ自分のことは、案外わからないんですが

生き様そのものを見世物にしているのが我々の仕事なのかもね。

そういえば同級生にそんなこと言われたなちょっと前に。

生き様そのものだから、確かに一週間やそこらで取り繕えるものではないかも。

譜面をちゃんとやりゃあいいんだろとか、II-Vをこうやりゃいいんだろというだけではなくてね。

出来ない → クソー → できたー → じゃあオレサマはさらにこうだー… → 本番でコケる → 反省する → 練習する → 本番でちょっとは上手くいく → 自画自賛する → オレサマはさらにこうだー → 本番くる → ズッコける…。

こんなGDPと関係ないところで、

オレサマいったい何やってんだと時に思いつつ、毎日が過ぎていく。

ズッコケるかどうかはそれぞれとして

マイルスだってピアソラだってコルトレーンだってみんなこうよねオクサマ。

オレサマ?

舞台役者も落語家も野球選手もみな同じ


…。我が人生の幻想でございます。

*前回がさすがに長すぎて文句を言われたので、今回は6尺内に収めてみました。数少なきフンドシマニアのみなさま、不完全燃焼でスイマセン。

 

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